リブコムズ編集室

ライブカメラ×観光情報サイト「LIVECOMBS」の制作裏側や普段のことを二人で書いています。https://livecombs.com/

【あとがき】海の生活を恋わせる紫雲出山

紫雲出山 ”昔話と奇譚で巡ろう”|三豊市のライブカメラ観光の制作秘話です。

紫雲出山の名は、紫色の雲が出た山であるという伝承に由来しているそうだが、紫色の雲が紫雲出山に懸かることはあるのだろうか。

清少納言の『枕草子』の有名な一節を引用してみよう。

「春はあけぼの やうやう白くなりゆく山ぎは 少し明りて 紫だちたる雲の 細くたなびきたる」

これを基にすると、春の夜明けの日の出の方角にある山に紫がかった雲が出現するそうだが、紫雲出山から顔を出す日の出は海の上から出ないと見えないようだ。舟をこぎ出さないと見えないのは浦島太郎らしいと言えばそうなのだが。

 

私は今回の執筆で、思いがけず新しい概念と出会うことになった。三豊市を調べていたときに何度か目にした「多島美」という言葉だ。

多くの島が海に浮かんでいる光景が美しいとは、内陸県の山がちな場所で育った私には新鮮な発想だ。しかし、まったく理解できないわけではない。きっとそれは内陸における、雲海から山の頭がひょこひょこ出ている光景のようなものだろう。

山の民は海の民の営みを知らないものだ。逆もきっとそうだろう。私の部屋の壁には月齢のカレンダーがかかっている。中学生の頃から愛用してかれこれ10年ほどだ。その日の月の形が一目でわかる優れものなのだが、私はこのカレンダーに月の形と共に載っている潮汐のグラフをただの一度も活用したことがない。しかし、カレンダーに載っているということは、これを活用して生活を営んでいる人もいるということなのだろう。一生に一度はそんな生活を送ってみたい、そんな憧れを抱いてしまった。

 

どれ、今夜の月でも見てみようと空を見上げたら、夕暮れ時も紫がかった雲が見られることを思い出した。紫雲出山に沈む夕日は市内の何箇所からか見ることができるので、紫色の雲が懸かって見えたのはきっと夕暮れの光景だろう。

 

今回は三豊市幸田露伴の作品を絡めて紹介した。しかし、幸田露伴知名度が低いのではないかと、今回のコラムはあまり評判がよろしくない。明治時代には尾崎紅葉とともに「紅露時代」という文学の黄金期を築きあげた偉大な小説家であるというのに。最近では『文豪ストレイドッグス』という、名前はそのままに高身長イケメンに描き変えられた多くの文豪たちが異能力バトルを繰り広げるという漫画が女子中高生たちの間で流行しているそうだが、2018年3月現在、この作品に尾崎紅葉は出ているものの(しかも女性として!)、幸田露伴は登場していないのである。「この文豪知ってる、名前だけは」という女子中高生にさえ、幸田露伴の名前は知れ渡っていないのである。嘆かわしい限りだ。

ちなみに、私が幸田露伴を読むきっかけとなった作品は『対髑髏』という話である。深い雪に覆われた峠を意地だけで越えようとした男が体験する不思議な出来事についての物語だ。幸田露伴の生々しい描写と独自の死生観は非常に引き込まれる。この場を使って幸田露伴をPRしておこう。

ちなみに、幸田露伴は京都帝國大学の講師に就任した後、わずか1年足らずで職を辞し東京に戻ってしまった。彼はその理由を、京都は山ばかりで釣りが出来ないから、と冗談めかして述べている。彼はどちらかといえば海の民だったようだ。