リブコムズ編集室

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【あとがき】十和田湖ドラゴン大爆発

十和田湖”竜が住む美の源泉”|十和田市のライブカメラ観光の制作秘話です。

 

水晶はむかし「水精」と書いた。「晶」も「精」のどちらも「光」という意味を持っているほか、白米を表す語としてもよく使われる。だからといって「晶=精」としてはいけない。そんなことをしたら与謝野晶子は……。関連は不明だが、与謝野晶子は12人の子持ちだ。

そんな与謝野晶子の有名な詩『君死にたまふことなかれ』を、国家に背く罪深き詩だと非難した歌人がいる。高知県出身で晩年を十和田湖で過ごした大町桂月だ。
桂月は歌人だけではなく随筆家としても活躍した人物で、旅好きが高じてか広く各地を旅し、美文と評される紀行文を多く著わした。活躍はそれだけに留まらず、評論や人生君にも優れており、処世訓集である『人の運』は当時のベストセラーにもなった。
そのような人物がなぜ軍国主義を肯定するような発言をとったのか。それは当時の常識であったからに他ならない。昔の価値観に基づいた発言が、今の世の中では違うように解釈されてしまうのはよくあることだ。
ちなみに、与謝野晶子大町桂月と非難騒動以前より親交があり、桂月の没時も追憶を寄せるほどの間柄であることを付け加えておく。

 

当時と違う解釈をされてしまう発現といえば、本編で登場した岡本太郎の「芸術は爆発だ」がある。
芸術はパーンと爆発するような発想から生まれることだと思っている人が多いが、これは大きな間違いだ。
岡本太郎は「芸術というのは生きることそのものである」と語っている。その上で「全身全霊が宇宙に向かってパーッとひらくこと。それが『爆発』だ。人生は本来、瞬間瞬間に、無償、無目的に爆発しつづけるべきだ。いのちの本当の在り方だ」と述べている。これが岡本太郎の本来の主張だ。

 

本編で紹介した三湖伝説には続きがある。
共に似たような境遇で竜と化した、八郎潟の八郎太郎と田沢湖の辰子は、次第に惹かれっていき、八郎太郎は冬になると辰子のもとへ通うようになる。
しかし、辰子に惹かれていたのは十和田湖の南祖坊も同じであった。ある冬、八郎太郎と南祖坊は辰子を巡って2度目となる戦いの火蓋を切った。今回は八郎太郎が勝利を収め、見事にリベンジを果たしている。今でも冬になると八郎太郎は辰子のもとへと通うので、主が二人になる田沢湖は冬の間凍ることがないのだとか。

そして敗れた南祖坊は今もなお嫉妬の炎を燃やしており、十和田湖に訪れるカップルを「リア充爆発しろ」と片っ端から別れさせるのだとか……。

最後のはさすがに冗談だが、十和田湖では婚活イベントも行われているそうである。南祖坊の呪いなど存在しないので真に受けないように。

 

水を大量に飲んで竜と化す話は小学生の時に読んだことがある。うろ覚えかつネット上にも情報が無いので、曖昧にしか書けないが、どうかご勘弁して聞いてほしい。
昔、中国に貧しい母と息子が二人で住んでいた。二人は赤い宝石(?)を所有していたのだが、何らかの理由でそれを隠さなくてはいけなくなり、息子がそれを飲みこんで腹の中に隠したところ、体が燃えるように熱くなり、大量の水を飲んで冷まそうとするも収まることはなく、気が付けば竜になっていた、というお話だ。
物語といえば教訓や何かしらの意図があるものだと思っていた幼い私には、寓意も何もなくあっけらかんとしたこの話の結末に驚いたものである。昔話には教訓が必要だというのは、現代の価値観でしかないのかもしれない。

 

最後に、今回の執筆に当たって、十和田市役所様が画像の手配と観光情報をまとめ下さりました。この場でお礼を申し上げます。ありがとうございました。