リブコムズ編集室

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【あとがき】琴引浜の周辺には歴史のロマンと妖怪たち

琴引浜 ”足音が響くビーチ”|京丹後市のライブカメラ観光の制作秘話です。

空想科学読本』でおなじみの柳田理科雄氏は、父親が「これからは科学の時代だ」と考えたためにこの名前を付けられたという。

それに倣えば、民俗学者柳田國男の親は「これからは国語の時代だ」と思ったのだろうか。

ひょっとしたら世の中には「これからは数学の時代だ」との思いを込められた柳田数男さんや「社会科の時代だ」と名付けられた柳田史男さん。あるいは英語の時代に先駆けた柳田英男さんもいるかもしれない。

ひとまず、そんなバカげた空想は置いておこう。

柳田國男は『海上の道』において、日本人のルーツは宝貝を求めて南方からやって来た人々だとする仮説を唱えた。

宝貝は別名を子安貝とも言う。なぜ宝やら子安といった名前が付いているかは、画像検索をしていただければ一目瞭然であるので、特にここでは語らない。しかし「貨」や「財」といった字に「貝」が使われているのは、主にこの貝がかつて貨幣として使用されていたことに由来する。

宝貝は世界各地で貨幣として利用されてきた歴史があるが、中国において最も盛んに取引されたのは殷の時代である。

王が氏族や家臣に貴重な宝貝を与えて統治を図っていたようだが、やがて周の時代になると、宝貝ではなく鋳造による貨幣が用いられるようになる。

京丹後市の箱石浜遺跡では、新王朝(漢の時代)で造られた貨泉と呼ばれる貨幣が出土している。また、確証は無いものの、この遺跡では明刀銭という周の時代の貨幣が出土したと伝えられている。

京丹後の地は古くから大陸との交流があった地域で、一説には丹後王国なるものが存在していたらしい。

秦の時代の徐福がこの地に上陸したかは定かではないが、あり得ない可能性ではない。

歴史が立証できない範囲はロマンの領域なので、あとは各々の想像に任せたい。

 

私は初めて「鳴き砂」と聞いた時、子泣き爺と砂かけ婆を組合わせたものかと思った。

鳴き砂が鳴るのは妖怪のせいなのだろうか。ちなみに、後をつけてくるような足音を出す妖怪に「べとべとさん」というのがいるらしいが、鳴き砂の上では「きゅっきゅっさん」にでもなるのだろうか。そもそも、琴引浜のコラムに「キュッキュッと音を立てる」と書いたが、私が実際に耳にした音を文字に書き起こしたわけではない。実物はどんな音がするのだろうか。是非とも足の裏で感じてみたい。

そういえば、京丹後市にある立岩には鬼が閉じ込められているという伝承があった。妖怪ブームは定期的にやって来るので、次の機会にはぜひ、京丹後市には妖怪で町おこしをやっていただきたい。

妖怪といえば、柳田國男が編集した『遠野物語』には岩手県の伝承のほか、様々な妖怪が登場する。丹後地方にも『丹後国風土記』というこの土地の伝承をまとめた書が存在したのだが、現在では失われてしまっており、ほんの一部の内容だけが現代に伝わっているばかりである。

柳田國男のように精力的な民俗学者が立ち上がり、この地の伝承を再編してくれることを願ってやまない。そして、この地の妖怪の正体を柳田理科雄のような科学者が暴くことも同時に願ってやまないのである。

 

*1:空想科学研究所の本